少年犯罪

2004年6月1日
また、悲劇が起きた。
事件の真相は、これから徐々に明らかになるだろう。

まず、加害者が愚かである。
これは100%間違いない。

だけど、この加害者・被害者の少女達を
ここまで「孤独」に追いつめたのは誰なんだろう。
何なんだろう。

他のクラスメイトに相談することも、
先生に相談することも出来ただろう。
もちろん、親にだって。

だけど、相談したいそのときに、
目の前に誰もいなかったら?
皆、自分の欲求にしか関心が無くて、
今後も、振り向いてもらえる見込みが無かったら?

大人達は、騒ぎ立てるだけじゃなく
ただ子どもに寄り添うこと、
見つめてあげること、
無条件に愛すること、
その意味を考えた方が良さそうだ。

亡くなったお子さんのご冥福をお祈り致します。

トロイ

2004年6月1日 映画
映画の日なんで、見てきました〜。
満員のご盛況!

で、感想。(役名・俳優名ごちゃまぜ)

ブラピ、ギリシャ人に見えねー(爆)。
ヘレン、一国を動かすきっかけになる女のオーラがない。
オバカな弟のなんも考えてない軽率な行動の為に死んじゃったヘクトル、かわいそうすぎ。
あ、エリック・バナは言うまでもなく、ボロミアじゃない、えっと、ショーン・ビーンかっこよかったし〜、P.オトゥールもおじいさんになったけど、品があって素敵だった。
そういう意味で眼福。

しかし、オーランド・ブルームは損な役者さんですねぇ。
パリスが出てくるたびにいらいらしちゃった。
へたれパリスが後半弓で戦いだしたとき、妙にほっとしたのは私だけではないはず。
「レゴラス」入ってたよね…(笑)。

戦闘シーンの迫力は凄まじい。
CGももちろん使ってるんだろうけど、
あの肉弾戦には思わず目をつぶってしまうとこが多くて
ほとんどまともに見てないかも(苦笑)。
お馬さんが結構転んでたけど、大丈夫なのかな…?
この手の映画ではいつも心配になってしまう。

アキレスとヘクトルの一騎打ちでは、思わずコーヒーカップを握りつぶしてしまったわ。
これだけでも見る価値ありでしょう。

観客はどっちかというと、アキレスよりヘクトルの方がカッコイイし思慮深そうだからトロイ側へ肩入れして見てしまうけど
冷静に考えると、あんな見るからに怪しいモノを城壁の中に
易々と入れてしまうのだから、浅はかだよね。
それでなくてもよその奥さんを略奪してきて開き直ったり、ちょっとね…
やっぱり滅びる運命だったのかも。
(ごめんなさい)

宝島

2004年5月31日 読書
改めて読んでみました〜。

面白すぎ!
シルヴァー、かっこよすぎ!
これぞヴィランス中のヴィランス。

ジム、可愛すぎ。
スモーレット船長曰く、
「敵にも味方にもかわいがられすぎる」…
(ちょっと萌え。)

いや〜これが100年も前に書かれた冒険小説だなんて…すごいわ。

まあ、今読むと、血生臭すぎるところもあるけどね。
それはさておき
当時の船の航行のしかたとか
航行中の食べ物とか生活のしかたとか
海賊たちの性癖とか
そういう細かい描写がなかなか興味深かった。

まあ感心したのは、ジムは若干14歳なんだけど
冒険中は子ども扱いせず、
きちんと責任ある仕事を任せて
規律を乱したら毅然とした態度をとる大人達ですね。
今の私たち大人に、一番欠けてるものかも。
邦題から察するに、刑事アクションものか、
それともサスペンスものか、と思ってました。

ところが地味〜な親子愛の映画だったのですね。

いや、父と殺人の罪で追われる息子の話だってのは分かってましたけどね。
てっきり冤罪かと思ってたら、思いっきり有罪だった。
それが初めの数分で初っぱなから分かってしまうので
「この後、2時間弱、一体どうゆう話の展開になるんだ…」と
ちょっぴり途方にくれた。

伊藤英明似(爆)の息子はしょーもなく盗みを繰り返し、
それを元手に逃亡しようとするだけで、まったく前には進めない。
おまけに最後は過剰防衛でもなんでもなく殺人を起こしてしまう。

デニーロ演じる父は、殺人者の息子という汚名を払拭するために
刑事という職務に没頭するあまり
家族を愛し、息子を愛するという立場を自ら捨てた過去がある。
で、今度は息子が殺人者だ。
なんて暗い話なんだろ。
でも、最後、息子を自暴自棄にならないよう説得するシーンでは
初めて「父」になったデニーロの演技に泣かされてしまった。
うますぎ。

私としては、本筋よりも
ロングビーチの荒廃した風景が印象に残った。
なんとか首の皮一枚で生き長らえてる瀕死の町。
ほんとにロケなのかどうか知らないけど、
この町に暮らしてる人たちはどう思ったかな。

やっぱ、タイトルは「海辺の街」じゃないの〜?
よくある缶詰パニック映画ですね(爆)。

英語&英語字幕で見たんで細かいとこはちょっとあれですけど
結局真犯人と主人公の関係って何だったのかな?
犯人はK.サザーランドですよね。
この人くらい「いい人」が似合わない人はいないって。
ラストほんのちょっとの(誰だかわかんないくらいの)出演で
あの存在感は驚愕。

最初はすかしてたステュがだんだん弱っていく姿もすごいです。
奥&愛人の前で「罪」を告白させられるとこなんて、
ほんと、情けなくて思わず目を背けたくなった位リアル!
コリン・ファレルって巧い役者さんだったのねぇ。
「マイノリティ・リポート」であっさり殺されちゃったときは
さすがスピルバーグ、役者に愛が無いなぁと思ったわ。
唯一、血肉のあるイイキャラクターだったのにさ。

時間もちょい短めで、スマートに仕上がった一品。
明日は日本語字幕で見よっと。

オイディプス王

2004年5月28日 映画
「にほんごであそぼ」でおなじみ、
野村萬斎さん主演のギリシャ悲劇。
今再演の真っ最中みたいで、1ファンとしては是非立ち見でもいーから見てみたいところ。
平日夜なんて無理だけど。

衛星でオン・エアされた時に初演時のものは見た。
オイディプスは実の父を殺し、実の母を娶るという数奇な運命を背負った王の悲劇を描いたものなんだけど、
「自分とは何者なのか」とひたすら追求するオイディプスと
伝統芸能を伝承する使命を負って生まれた萬斎のアイデンティティを追求している姿とが重なって、演技がどうのこうのじゃなく
その存在感だけで持っているような危うい感じが良かった。

で、昨年は「ハムレット」をおやりになったようだが
これは激しく微妙。
オイディプスの時も、「周りの役者さん、スゲーうまい」と
ヘンに感心したものだが
ハムレットに至っては
「が、学生演劇ですか?」とまで(以下略)。

う〜ん、やっぱり、この方は根っこがすごくまっすぐで明るいんだろうな。
で、他人をののしったり、歯ぎしりするほど憎んだり、
他人から見捨てられそうになったり、嫉妬に燃えたことも無いんだろうな。

映画「陰陽師」でみせた身のこなしの美しさもオーラも、
3作目ともなれば(あればだけど)もうそれだけじゃ通用しないよね。
伝芸のベースに固執することなく、謙虚にいろんなことを吸収してもっともっといい役者さんになって欲しい。

超個人的希望だけど、
「ルパン3世」の実写版でルパンやってほしいかも(爆)。
いや、それくらい元キャラ破壊したほうがいいという話(苦しい?)。

うんざり

2004年5月28日
話し好きの人。
他人の時間をお構いなしに浪費してることに気づいてない。

いい人なのだ。悪気なんか無い。
でも、知りたくもない情報や
断片的に見た主観的情報を
おもしろおかしく脚色して教えてくれなくていい。

「で、あなたは一体、私に何をしてくれるの?」
と小一時間問いつめたい気分になる。

そういう人は、話すことによって
相手に有効な情報をもたらしているという自負もあったりするから困る。
実際は相手の反応を見て「楽しんでいる」自分に、早く気づいてください。

日常生活上、お互いを「いいひと」という位置づけに常に置いておく。
そういうテクニックは必須なのだ。
あの、「太陽の帝国」のぼーやが、こんなに立派になって…(感涙)。

近未来の話なのに、クルマとか銃とかドアの鍵とか手錠とかけっこーアナログだったりするところがB級の哀しさか。
よく言われているように、「マトリックス」もどきなんだけれど
アクションはせこいワイヤーとCG処理ほとんど使ってなさそうでホンモノっぽい!

ラスボスの使い回し(苦笑)はちょっとがっかりして
「あのおでぶーのボスがあんな使い手だったとは!」なんて変にビックリするけど、まあそこはB級なんで。

C.ベールは子どものころ、あんなに演技派だったのだから、
もう少し「感情」のある生き生きした役を演じてるとこが見たいな。
もうずいぶん前に1〜2回プレイしておいてあったものを
暇なんで、引っ張り出してやってる。
私のHNはこれに登場する召喚士の女の子の名前(笑)。

FFは8で初めて出会った。
で、それはもう何回と無くやりましたよ〜。
アルティマニアがボロボロになるくらい精読し、
もう、やれることはだいたいやり尽くした。
わけわかんないジャンクションシステムを完璧に理解したのは
3回目くらいから(爆)。
で、8が何であんなにみんなに嫌われてるのかサパ〜リ分からなかったんだけど4〜10ひととおりやってみて何となくわかった。

何で召喚士でもないのに魔法が(それも初めから)使えるんだ、とか
ドローしないと魔法が使えない、とか
MPナシで召喚獣使いまくりはヘンだ、とか
武器・防具・アクセサリー自由に付け替えられないのはツマンネ、とか、ですかね。
あと、主人公の性格が悪い(爆)。
マップ・ダンジョンが難解過ぎ。

でも、いーじゃないですか、あたしは8好きですよ。
確かに主人公とヒロインな嫌いだったけど、脇が良かったしね。

で、9だけど、これは8をよほど反省したのか、すげー簡単(笑)。
迷ったこと一度も無いし(つか、迷うほど広くないって…)。
はっきり言いましょう。
これは「初心者向け」です。

でも、キャラがすご〜く可愛いのよね。
ほんと、絵本から抜け出てきたみたいで、ファンタジーって感じ!
モーグリなんか、もう「ぬいぐるみ欲しい!」って感じ。
プレイしてて、あんまり挫折感味わわないし、
イベントもいちいちほほえましいので、楽しくてたまんないです〜。

FF10はちまたで人気みたいですけど
あたしは嫌い。
CGキャラがマネキンみたいにカクカク動いてしゃべるんだよぉ〜。
目が死んでるのに笑ったり、クサイ台詞吐いたり、悩んだり…
あ〜気持ちわる!
え〜い、マネキンが悩むな〜!

FF9は、テーマ曲がものすごくイイ。
白鳥英美子さん(元トワ・エ・モア)が歌っているのだけど
その歌声の美しいこと!
そしてなにより、その歌詞に感動してしまうのだ。
(CDまで買ってしまった。)
もう一度EDで、あの曲を聴きたい。
公開当時、すっごく面白くてはまって、何度も映画館で見た。
ビデオも買って、すり切れるくらい見た。

で、今回テレビで偶然見かけた(笑)。

今となっては、あの三日月刀男を一発で倒すシーンに笑えなくなってる自分に驚きというか当然というか。
これに登場するアラブ人はみんなおまぬけに見えるのも哀しい。
何より、インディさ、丸腰の手下どもをやたらに殺しすぎ。
問答無用なんだもの…。
やっぱ、有色人種に偏見あるよね、スピルバーグって。

ハリソン、若いですね。
私にとっちゃ、そんなノスタルジックな価値しかない一本になってしまった。
上の子は友達と遊びに行っちゃうし
お天気も悪くて外で遊べない下の子が退屈して引っ張り出してきたビデオ。
私はお気に入りの一本なので何度となく見ているが、
子どもは初見。
どんな反応示すのかなぁと重いながら一緒に鑑賞。

まず、見始めて5分後、彼女の最初の質問は
「ムーランって、おひめさまなの?」

…残念ながら違うので、
「違うよ、ふつーの中国の女の子だよ」というと
少なからず彼女の期待度はぐんと下がってしまったようだ。

やはり、子どもにとってビジュアル的に美しい、カワイイということは重要なことのようだ。
ムーランは美人でもなんでもない、ちょっとすっとんだ女の子。
保守的な世界の中で「役立たず」の自分にかなりコンプレックスを抱えている。
そのキャラクターに共感できないとムーランのキャラデザインはビジュアル的にかなりキツイ。

戦争というバックグラウンドも、かつてのディズニーの感覚で見てしまうと非常にハードで違和感がある。
戦争に負ければ「死」という「楽しい」「面白い」の世界とはかけはなれた事実と直面しなければならない。
ムーランたちが戦争の惨状を目の当たりにするシーンは
散乱する味方の遺体を遠景にさらっと見せるなど、最大限ソフトに押さえてあるけれど幼い子の鑑賞は少々無理があるかもしれない。

冒頭、嫁入りの修行をしているムーランはほんとうになんの取り柄もなさそうな魅力のない女の子だ。
しかし髪を切り、男装して父の代わりに出征していく彼女の変化はすばらしい。
人間が自ら決心し、行動を起こすときのすがすがしさと美しさ。
それは、どんなに造形が優れた「おひめさま」よりも生き生きとして、キュートでカッコイイ。
我が子は、その「かっこよさ」には相当惹かれたようだ。

何よりも名誉を重んじるムーランの父が、
皇帝から授与された勲章や剣ををほっぽって娘を抱きしめるシーンは、何度見てもじ〜んとしてしまう。
おまけに、「王子さま」がやってくる「おひめさま」的ハッピーエンドも待っている。

噂では「ムーラン2」も企画にあがってるそうだけど、フロリダスタジオ閉鎖したからって、手抜き絵だけはカンベンしてね、ディズニーさん。
見ちゃったよ…(苦笑)。
ここまでB級に徹してると、
「もしかして、狙ってますか?」という感じかな。
なっさけない主人公も、役立たずのヒロインも、まあいいでしょ。
ストーリーもいちお〜成り立ってるし、
SWニュートリロジーより、よっぽどちゃんとした「映画」じゃん!
次は何?何っ?ってワクワクしたし。
びみょーにセット・小道具・衣装が安っぽいのもご愛敬。
FFも実写になるとこーゆー感じなのかな、とか思ったり。
できれば召還合戦とか、魔法合戦が見たかったなあ〜!

どれもこれもどこかで見たようなシーンばかりで、
元ネタを考えるだけで楽しめます♪

オタク心を刺激する、結構はまる映画かも。
できたら続編作って欲しいな。
あ、でも映画館には、見に行かないかもね(爆)。

PTA

2004年5月20日
今日は小学校の保護者会だった。
いつも、なんてことはない話を聞かせられるのだが、
他愛のない日常を伺う。それが重要なのだ。

学校へ行けば、その空気に触れるだけで
こども達が果たして望ましい状態で学校生活を送っているのか、
先生の言っていることに嘘やごまかしがないか、
「肌」で分かるのだ。
親ならさぼってはいけない、と思う。
仕事を持っている人は、ほんとなら休んでも行ったほうがいい。

中にはPTAが存在しない学校なんてのがあるらしいけど
それはどうかと。
やはり地域社会というのは、住む人があって、子どもがいて、
学校があって、成り立つ。
親は、学校を通して地域社会とつながっているのだ。
地域の透明人間になってはいけないよ。

で、肝心の役員決めだけど、決まらない。
高学年にもなるとほとんどが経験者で、未経験者は
フルタイムで働いている物理的に難しい人、そして無関心な人。
後者は姿を現しさえしない。
で、結局「いつものメンバー」に落ち着くことが見え見え。

断っておくが、「いつものメンバー」は決して目立ちたがりとか
ええかっこしいとか、役員好きとかじゃあない。ただのお人好し。
だれだって自分の時間を自分の好きに使いたいのだ。
ほんとうは、その時間を使って就職活動だってしたい。
「逃げた者勝ち」の時代はそろそろ終わりにして、
全員で平等にこども達をサポートしましょうよ〜。

今の不景気を打開するには、女性がより多く社会に出て
消費が拡大すればいいと思うのだが、
そのためには、企業が「保護者会休暇」とか「PTA活動休暇」「子ども看病休暇」(生理休暇があるんだから当然よね)を制度として設ける、つか、強制的に制度を持たせる、てのはどぉでしょ?
それなら安心して親は(特に女性)外に働きに出かけられるってもの。
保育園待機者数を減らすだけじゃ、解決にはならないのよねぇ。
子どもは、乳幼児ばかりじゃないのだからね、小泉さん!
「華氏911」の配給を、ディズニーに阻止され
怒り心頭中のM.ムーア監督のドキュメンタリー作品。

アメリカという国は、なんて哀しい国なんだろう。
全てが国益のために操作されている国だ。
(貧しい)人の命は、塵よりも軽いらしい。

人間ほど、何をしでかすか分からない生き物はない。
そんな生き物の手の届くところに、弾が込められた銃がごろごろしていたら…?
考えるだけで恐ろしい。
人殺しの道具が銀行に預金しただけで手に入り、ホームセンターでまるでDIYの釘のように手軽に弾が手に入る。
これが日常だなんて、どこかが狂っている。

アメリカの社会は、システマティックに弱者を支援しているかのように見えるけれど、実態は弱者を低賃金で酷使した上に家族を空洞化して新たな問題の温床を作っていることが克明に描かれている。
その偽善に満ちたやり口には本当に怒りがこみ上げて来る。

ディズニーはフロリダ州知事(大統領の親戚らしい)のご機嫌を損ねたくなくて、同監督の新作には制作中からいやがらせをしてきたらしい。
まあ、一企業として利潤を追求する立場にあるわけだから理解できなくもないが、「あんたそれでも子どもに夢を与える企業なの」と小一時間いや永遠に問い続けたい。

ディズニー映画「ブラザーベア」は不自然に不完全な映画だった。
映画として一番大事なキモの部分の台詞が、なんと音楽で消されているのだ。
これは明らかに意図的なやり方で省略されたとしか思えなかったが、この映画を見てTOPから何らかの圧力があったのだと確信した。
そこまでしてアメリカ人は「罪」を告白し、「赦し」を請うのが嫌いなのか。

ラスト、名優C.ヘストン(ライフル協会の要人)がムーア監督に論破されそうになり、銃の犠牲者の女の子(6歳)の写真を掲げる監督から逃げるようにして去っていく彼の姿は、思いっきりかっこ悪かった。

その哀しい背中に問いたくなる。
「あなた達は、どうしてそんなに臆病なの?」
ハワイの島を舞台に、迷い込んだエイリアンと子どものふれあいを描いたハートフルなお話…という予備知識で見た。

こんなにSFバリバリなハチャメチャアクション映画とは思わなんだ(笑)。
オープニングはSWチック、後半はメン・イン・ブラックてところか。しかし…

リロは事故で父母を失い、年の離れた姉ナニと暮らしている。
ナニは幼い妹を抱えながらも、なんとか仕事をこなし生活しているが、リロは父母がいない寂しさからか、毎日問題ばかり起こしている。そのせいでナニは児童福祉局から目をつけられ、毎日びくびくしながら暮らしている。
姉がいくら背伸びをしてがんばっても、幼い(5歳くらい?)妹にとっては父や母の代わりにはとうていなれないのだ。
彼女は「姉」ではなく、「パパ」や「ママ」が欲しいのだ。
わずか5歳ほどの幼児の心の葛藤を、誰が「ワガママ」と責められるだろう。
それが痛いほど伝わってくるので、ここでまず観客は涙してしまう。

一方エイリアンのスティッチのほうは、マッド・サイエンティストのエゴで想像された、突然変異の生物。
彼には父も母もいない。
ある日突然ポンと生まれてきた、まったくルーツの無い、破壊することだけをプログラミングされた怪物。
なんだかポケモンの「ミュウ2」ばりの設定じゃありませんか。

追放され地球に逃げ込んだ「スティッチ」はリロに「犬」として飼われ、
ある意味似たもの同士の2人(?)は破壊と混沌を繰り返しながらも少しずつ変わっていく。

自分の出生の秘密を理解していないスティッチが、「もしかしたら、家族がくるかも…」とひとりぼっちで空を見上げるシーンでは不覚にも涙がボロボロあふれてしまった。

スティッチは「モンスター」だけれど、人間だって、ただ生み出されただけで、愛も無く放っておかれたら、彼のように破壊者になってしまうかも知れない。
時には愛が足りないとか、求める愛の種類が違ってしまって飢餓状態になっても、それを補う「家族」(血がつながっていなくても、損得勘定抜きで寄り添える仲間)があれば、必ず幸せになれるのだ。
ナニとボーイフレンドのデヴィッドは、この突拍子もない話に現実感を与える、ほんとにイイキャラクターだと思う。

ラストのドタバタはお子様たちの注意を引くためのお約束とこの際目をつぶるとして、
ハワイの海の美しさ、人の温かさを肌で感じるような絵作りが、見る人をあったかい気持ちにしてくれる。名作!

アイデンティティー

2004年5月18日
雅子様がご静養のため外国訪問を断念された。
皇太子様がその原因などについて述べた記者会見でのコメントがもとで、宮内庁は大騒動になっているようだ。

某新聞のコラムだったか投稿欄だったか、こんなコメントがあった。

外国訪問は雅子様にとって日常のこと。かつては外交官として各国の要人と渡り合ったエリート中のエリート。
外交官として日本の、いや世界のために役立ちたいと願って国際社会に身を置いてきた。
それが雅子様の「アイデンティティー」なのだ、と。

好きでもない(失礼…)人と結婚することになったとき、
キャリアを生かして日本を代表して各国との親交のために役立てることも出来る。
雅子様はそのようにご自分を無理矢理納得させたに違いない。
皇太子様は皇室の常識の範囲内で、出来る限り
「お守りして」きたのだろう。

常識の通じない世界で、いろいろな困難があるということは想像に難くない。
でも、敢えて雅子には乗り越えて強くなってほしいと思う。
そして、お人形ではない、外交官時代のように凛として美しい
ご自分をとりもどしてほしい。

ところで、子育て中の母親にアイデンティティはあるか?
答えはノーだ。
滅私奉公と言う言葉があるけれど、子どもがちいさいうちはまさにそれだ。
中には子育てにアイデンティティを見つける人もいるだろうが
それは子どもにとってえらい迷惑だ。
母親のすることをいちいち子どもは感謝して反応しなくちゃならないのだからたまらない。

だいたい、家事・生活・育児は人間が生きていく上であたりまえのこと。
いちいち褒め言葉や報酬を要求していたらなんだか嘘くさい。
それにアイデンティティを見いだせる人は間違いなくいやな姑になるだろう(苦笑)。

なんだか何を書いてるか分からなくなってきた(笑)。
あー、要するに、人間は外に出て自分の存在を示したい生き物なんだってこと。
だけど、「生き物」として生きる過程でそれが中断されることもある。
それは、いいたかないけど「仕方のない」ことなのだ。
この「仕方のない」ことにあきらめがつかなければ
孤独になる道もあるのだ、人間には。

結婚生活も日常生活も子育ても、世の中理不尽なことだらけ。
それを悟らなきゃ「やってられない」のだ。
うう〜ん。
うう〜ん。
駄目です(笑)。
ちょびっとは期待してたんだけどなぁ…。

私には謙さんがどぉ〜〜〜〜しても「サムライ」には見えなかった(ごめんなさい)。サムライというよりは「親分」と呼びたい感じ?あの大仰な衣装のせいもあるのだろうけど、なんか滑稽なんだよね。
オルグレンが勝元と対面したとき、
「(英)会話をするために呼んだのか?」と悪態をついたけれど
私にもそうとしか思えなくて笑った。
だいたい、何で英語がしゃべれるの?ヘン。
座学でなんとか情けない英語をしゃべれても、聞き取りはそう容易には出来ないはずよ(笑)。
トム、もっとゆっくりハッキリしゃべらなきゃダメダメ。

最後のポカーンな合戦も、何故、勝元があそこまで剣術に固執するのか分からない。
あの時代のサムライはとっくに鉄砲だって持ってただろうに。
アナログな武器で近代兵器とまともに戦って生き残れるわけ無いでしょ。犬死にするのが武士道だっけ?
オルグレンだって私の目が確かなら3回は死んでる。
ターミネーターですか。

T.クルーズも、スタッフも、ものすごく日本のこと勉強してくれて、彼らなりの「武士道」の解釈をしてくれたんだなぁと、情熱だけは感じたけどね。

でも、ほんとの日本の魂を感じたいなら
劇場版「クレヨンしんちゃん」を見た方がずっといいし、感動できるのでは。
今回初見。

これほど対象年齢層が限られたディズニー作品も珍しい。
男の子向け、それも小学校高学年〜中学生もしくは
思春期の男の子をもつ親世代向け(笑)

なぜならこれも、正義を守るために活躍するヒーローの話じゃないから、ジムに感情移入することが幼い子にはかな〜り難しいと思われ。

モチーフはスティーブンソンの「宝島」なんだけど
コレ見て

「宝島」→「21エモン」→「トレジャープラネット」

「21エモン」+「隠し砦の三悪人」+「宇宙戦艦ヤマト」→「スターウォーズ」→「トレジャープラネット」

なんて相関図(?)が浮かび上がってしまった(苦笑)。
解釈は色々でしょうが、まあ、いろんな所でお互い影響し合ってるのではと思った次第で。

「ライオンキング」「アトランティス」みたいなあからさまなものとは違って、この作品は古典をうまく宇宙活劇にお料理してある。
「ライオンキング」を見た後に私はよせばいいのに劇場版「ジャングル大帝」を見たのだけれど、アイディアの出どこはともかく、圧倒的な絵の力、ストーリーテリングの力はディズニーにはかなわないなと思いましたね、正直言って。
そういう意味で、「トレジャープラネット」も構成はしっかりしてるし映画としては上級のできばえだけど、なんかど〜も画面に「華」が無いのよね〜。
それは青年が主人公のせいもあるのだろうけど、この手のファンタジーにはやっぱり主人公にからむロマンスもやっぱ必要なのかなぁ?

でも、この世界観は結構好きかも。

しかし、男の生き方を背中で教えてくれる父親なんて、
今時どれだけいるんだろ。
トレプラにしろ、SWにしろ、「父に憧れたい息子」
「堕ちた父を超える息子」は永遠のテーマなんでしょうか。
息子のいない私には永遠に理解できません(くやし〜)。
昨日の朝のニュースで、米青年がアルカイダと思われる人達に
「処刑」され、その一部始終をwebsiteで公開していたというニュースを見せられて、愕然とし、吐き気をもよおした。
頭がじんじんして、見たくもないニュース映像が目に入るたびに固まってしまった。

あの9.11事件以来、私はメディアの映像暴力にうんざりしてきた。

この、アメリカが勝手に起こした戦争では、なんの罪もない数多くの市民が毎日ただの「数値」と化している(死亡している。)
だから、戦争とはそういうものだと、見せつける必要があると言うのかも知れない。
この事件の犯人グループのやったことはもちろん極悪非道なのだが、私がうそ寒い恐ろしさを感じたのはこの映像の一部を流したメディアの無神経さだ。

この男性のご家族の心情を思うと、本当に言葉がない。

情報は事実に基づき正しく必要な人に向かって発信されるべきだ。
それが報道の基本ではないのか。
でもそれはエモーショナルなものであってはならない。
映像は、多くを語ると思われているけれど
私は必ずしもニュースに不可欠なものとは思わない。
映像は、人に事実以上のイマジネーションをかき立てる。
あるいは、事実の一片しかとらえていないのにそれがすべてと思われたりもする。

国内における、犯罪報道もそうだ。
子どもの虐待や少年犯罪など、いかにも近年激増しているかのように報道されるけれど、果たしてそうだろうか。
私は、伝えられる情報量とその速度が増しただけだと思えてならない。
時にはニュースで犯罪の手口を詳しく解説・手ほどきみたいのをしていてあきれ果てたこともある。
何でもかんでも、お知らせすればいいってもんじゃないだろう。
報道することによって犯罪が伝播することだってあり得る。

メディアに携わる方達は、「知る」ことの恐ろしさを肝に銘じて
報道して欲しい。
受け取る側の私たちは、時には望んでもいないのに見せられ、知らず知らずのうちに心が蝕まれたりもするのだから。
http://www.starwarsmuseum-east.jp/
国立科学博物館で開催されている、スターウォーズ展に行って参りました。
平日の昼間の上野なんて、人出もさみし〜んだろうな、なんて思ってた私が甘かった。
上野をなめちゃいけません。
修学旅行の中学生の団体やら、中高年のおじさま、おばさま方のツアーなどで賑わっておりました。

で、スターウォーズ展。
エントランスの恐竜標本を横目に、迷路のような、科学博物館の地下フロアが会場。

出かける前はあまり「本物を見に行く」という実感がなかったけど、入ってすぐの所に、あの「スターデストロイヤー」がお目見えしていて「うぉ〜っ!ほ、本物だぁ〜〜〜!!!!」とまず感激。
これが実に細かい所まで丁寧に作り込んであるんですよ。
次の感激ポイントは、R2−D2!
うわ〜ん、かわいいよ!ボディは何度もペイントし直した後があったりして、そこがまた味があってい〜んだ。

ハン・ソロの衣装。
「ほ、細っ…」昔は華奢だったんだねぇハリソン君…(遠い目)。
レイア姫の衣装なんかほんとうに小さくて、細くって、キャリーフィッシャーって本当に小柄だったのね、なんて改めて実感。
一方チュウバッカはでかい&カワイイ(笑)。
炭素冷凍のハン・ソロだ〜〜っ!!

ン十年前スクリーンで観たものが目の前に、手が届くような距離で見られるなんてほんとに予想以上に感無量!
ホス星のマットペインティングなんて、芸術品ですよ、芸術品!

…が、クラシックトリロジーからニュートリロジーに移るに従い、
その興奮は冷めていった。
アナログな特撮からCGへ移行したせいか、実物のアイテムがぐっと少なくなり、代わりに衣装が絢爛になってく。
実物大のポッドレーサーやスピーダーなんかがあったりしたけど
どれもこれもデザインがいまいちなのよね。
なんか嘘くさいというか、CGで描きやすいデザインにわざわざした、ってかんじが見え見えなの。
ニュートリロジーの展示の中で一番面白かったのは、
ポッドレース場の模型。
3メートルくらいあるスタンドに色とりどりに着色した「綿棒」達が「人」となって立っているのだ。
その数のおびただしいことといったら気が遠くなって嬉しくなるくらい。

昔SWにはまっていた頃、友人と「掃除のアルバイトでもいいから
撮影クルーに混ぜてもらいたいよね〜♪」なんて言っていたことを思い出した。
アルバイトで「綿棒立て」やりたかった…(バカ)。

ひととおり見終わったら、売店が。
ン万円もするレプリカやレゴのブロック、キーホルダーが並ぶ。
プログラムがほしーな、と思ったけど、展示品すべてが網羅してある重厚なもので¥2,000もしたので買わなかった(ケチ?)。

SW熱は冷めかかった私だけれど、これで少しEP3を見る気が起きた。十分に宣伝効果あるよコレ…(苦笑)。

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