ずっとこの日記から遠ざかっていたので
字数制限があったことを忘れていました。

愛あるあまり昨日は書きすぎ
思いっきり後半は切れてしまいましたが
書き直す気力がないので絵だけ追加UPします(苦笑)

話は変わりますが、

趣味でほそぼそやっている動画サイトに、日本の方のみならず
外国の方からもコメントを頂き感激することが多いのですが
ちょっと切れた事例を。

人のアカウントにコメントする際に
挨拶なしもいらつくが
いきなり
「〜っていったい何なの?」
というコメントを付けられたら切れます。

てめえで調べろと。

しかし、人のことはいえないかもしれない。
我が子も時々
今日って何曜日?
今日って何日?
今何の番組やってるの?
と当然のように聞いてくるので

そういうときは「さぁね、自分で調べろ」
と言うんですが、
そのときの反応はかなり不満たらたら。
きっと、学校でも先生に同じことをしているに違いない。

人から聞いた情報はすぐ忘れる。
その人にまた聞けばいいと脳が判断するからだ。
一方、疑問に思う→自分で調べる→書き留める
というステップを踏んだ知識はなかなか忘れない。
単語帳に拾い出した単語を書いたときの自分、
辞書で調べたときの自分、
工夫してカテゴリ分けしたときの自分を覚えているからだ。

いい大人でも、何でも人に聞く性質の人はいる。
本当にいらつくのだが、
道から時間から、とにかく人から根掘り葉掘り情報を聞き出し
自分の労力を省こうとしている。
で、情報の出所に責任を負わせるのだから
たまったもんじゃない。

何でもPCで調べられる時代というのは
自分の脳に収納すべき論理的メモリを
外付けしているということ。
脳内で活用しているのは感覚と感情を司る右脳だけじゃぁ
衝動的に虚無感に見舞われるのも当然だと思う。

試行錯誤を繰り返して、一見無駄なことをしているようでも
その人の経験値は自ずと上がっているのだ。

そこでまず、自分の子に言おうと思う。

「あんたの辞書、キレイすぎね?」

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