しょうがない 〜日本語はいい加減〜
2007年7月5日 エッセイある日、知人の娘(大学生)が私に
「何時?」と唐突に聞いてきた。
シチュエーションから察しても意味不明である。
彼女はそのとき
「今日、あなた方は○△駅何時発の電車に乗ってここに来ましたか?」と質問したらしい。
商売柄(語学関係)、言葉には敏感である。
外国語に触れていると、日本語のもつ曖昧さは時に
神経を逆撫でされることもあるし
言った本人に罪は無いのだが
「あんたさぁ、もっと相手の立場に立ってわかりやすくものを言えよ。質問するときくらいさぁ」と
ぶち切れたくなる。
私もこのブログでかなりいい加減な日本語を使っているが
行間の読めない人以外には迷惑をかけていないつもりです(ほんとか)。
某元大臣の使った「しょうがない」を分析してみよう。
これを翻訳して英語圏の人にニュアンスを伝えようとしたら
どうなるか。
まず、言った本人の本意を探らねばなるまい。
「当時、我々日本人に選択肢は無かった。無力だった。」
「当時の日本人は、(原爆を落とされても)文句の言えない程の悪事をしていた」
「我々に出来ることは無かった」
「我々は、あれは戦争終結のための必要悪だったと認識している。」
一国の大臣が、公の場で口にするには
「しょうがない」はあまりに曖昧で投げやりな表現であり
誤解して下さいと言わんばかりの表現なのである。
この「しょうがない」に限らず、
新聞や雑誌等にも意味不明な文章がしばしば見受けられる。
その多くは主語が無く、一体誰が何したのか何度も読まないと分からないことも。
英語の優れているところは、自分と他者、事実を合理的に客観的に見つめ、表現しなければならない構造になっているところだ。
日本語の曖昧さは日本人の「察する」能力に頼る部分が大きく、
これを自覚しなければ、日本人はいつまでも「外交ベタ」で外国人になめられる一方なのではないかと思う今日このごろなのである。
「何時?」と唐突に聞いてきた。
シチュエーションから察しても意味不明である。
彼女はそのとき
「今日、あなた方は○△駅何時発の電車に乗ってここに来ましたか?」と質問したらしい。
商売柄(語学関係)、言葉には敏感である。
外国語に触れていると、日本語のもつ曖昧さは時に
神経を逆撫でされることもあるし
言った本人に罪は無いのだが
「あんたさぁ、もっと相手の立場に立ってわかりやすくものを言えよ。質問するときくらいさぁ」と
ぶち切れたくなる。
私もこのブログでかなりいい加減な日本語を使っているが
行間の読めない人以外には迷惑をかけていないつもりです(ほんとか)。
某元大臣の使った「しょうがない」を分析してみよう。
これを翻訳して英語圏の人にニュアンスを伝えようとしたら
どうなるか。
まず、言った本人の本意を探らねばなるまい。
「当時、我々日本人に選択肢は無かった。無力だった。」
「当時の日本人は、(原爆を落とされても)文句の言えない程の悪事をしていた」
「我々に出来ることは無かった」
「我々は、あれは戦争終結のための必要悪だったと認識している。」
一国の大臣が、公の場で口にするには
「しょうがない」はあまりに曖昧で投げやりな表現であり
誤解して下さいと言わんばかりの表現なのである。
この「しょうがない」に限らず、
新聞や雑誌等にも意味不明な文章がしばしば見受けられる。
その多くは主語が無く、一体誰が何したのか何度も読まないと分からないことも。
英語の優れているところは、自分と他者、事実を合理的に客観的に見つめ、表現しなければならない構造になっているところだ。
日本語の曖昧さは日本人の「察する」能力に頼る部分が大きく、
これを自覚しなければ、日本人はいつまでも「外交ベタ」で外国人になめられる一方なのではないかと思う今日このごろなのである。
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