「鬱」のガイドライン 〜だれか、アンタは鬱だって言ってくれ〜
2007年4月3日 エッセイ私基準で言うと、私はこの一年、「うつ」だった。
始まりは母の死である。
母は、一昨年、体調を崩しあっという間に癌宣告され
あっという間に(本人にしてみれば地獄の3ヶ月だったと思う)
亡くなった。
思春期以降の私はそんなに母が好きでもなく
むしろ自分勝手な言動を繰り返す母に嫌悪感を覚えながら
一方では
親元から離れて親の手を借りずに子育てを頑張っている姿を
認めてもらいたかった
というか
認めてもらうことを目標に
なんとか頑張ってこられたのだと思う。
その目標が突然消えてしまった喪失感は
意外にも思ったより大きかった。
私は自分の無様な姿を他人に見られるのが
なにより嫌な見栄っ張りな人間なので
母を語るときには絶対に泣きたくないし
ノスタルジックに浸るのもこっぱずかしい。
ひたすら自分にむち打って仕事を始めたり
自分の生活に変化をもたらすことで
自分の感情と向き合うことを拒否してきた。
そのツケは「うつ」という形で現れてきた。
夜、眠れない訳じゃない。朝、起きれない訳じゃない。
私に現れたのは「チック」である。
油断すると顔面をしかめたり、
無意味な悪口雑言を吐いたりする、アレである。
幸い、見栄っ張りな私は、人前では出さないように押さえられる。
仕事を始めた当初はコレを押さえるのに必死だった。
今は症状は軽減しているが
油断すると人前であろうとなんであろうと出る。
まさに冷や汗ものである。
結局、この症状は
自己評価がものすごく低いから出るわけで
生きているときはそれを母のせいにして
いくらでも恨み辛みを心の中で募らせられたのが
いまじゃその本人は実態がない。
自分はもう誰かに心配される対象じゃない、
誰かを心配しなきゃならない立場にある。
たったそれだけを受け入れるのに
一年以上もかかるんだから自分がどうしてもイヤになる。
世間一般で言う典型的な「うつ」症状がでたら
誰か自分のことを気遣ってくれるんだろうか。
いや多分、もう自分を大切に出来るのは自分しかいないのだ。
死ぬときはきっと、誰もが
「期限付き」の苦しみになら寛大だ。
私も家族には「期限付き」の苦しみと覚悟を与えて死にたい。
そんなことばかり考えて日が暮れる毎日なのである。
始まりは母の死である。
母は、一昨年、体調を崩しあっという間に癌宣告され
あっという間に(本人にしてみれば地獄の3ヶ月だったと思う)
亡くなった。
思春期以降の私はそんなに母が好きでもなく
むしろ自分勝手な言動を繰り返す母に嫌悪感を覚えながら
一方では
親元から離れて親の手を借りずに子育てを頑張っている姿を
認めてもらいたかった
というか
認めてもらうことを目標に
なんとか頑張ってこられたのだと思う。
その目標が突然消えてしまった喪失感は
意外にも思ったより大きかった。
私は自分の無様な姿を他人に見られるのが
なにより嫌な見栄っ張りな人間なので
母を語るときには絶対に泣きたくないし
ノスタルジックに浸るのもこっぱずかしい。
ひたすら自分にむち打って仕事を始めたり
自分の生活に変化をもたらすことで
自分の感情と向き合うことを拒否してきた。
そのツケは「うつ」という形で現れてきた。
夜、眠れない訳じゃない。朝、起きれない訳じゃない。
私に現れたのは「チック」である。
油断すると顔面をしかめたり、
無意味な悪口雑言を吐いたりする、アレである。
幸い、見栄っ張りな私は、人前では出さないように押さえられる。
仕事を始めた当初はコレを押さえるのに必死だった。
今は症状は軽減しているが
油断すると人前であろうとなんであろうと出る。
まさに冷や汗ものである。
結局、この症状は
自己評価がものすごく低いから出るわけで
生きているときはそれを母のせいにして
いくらでも恨み辛みを心の中で募らせられたのが
いまじゃその本人は実態がない。
自分はもう誰かに心配される対象じゃない、
誰かを心配しなきゃならない立場にある。
たったそれだけを受け入れるのに
一年以上もかかるんだから自分がどうしてもイヤになる。
世間一般で言う典型的な「うつ」症状がでたら
誰か自分のことを気遣ってくれるんだろうか。
いや多分、もう自分を大切に出来るのは自分しかいないのだ。
死ぬときはきっと、誰もが
「期限付き」の苦しみになら寛大だ。
私も家族には「期限付き」の苦しみと覚悟を与えて死にたい。
そんなことばかり考えて日が暮れる毎日なのである。
コメント