いたいけなお子さんたちが自ら命を絶つ不幸が
続いているように見えます。
虐め。
どこからがイジメで、どこまでがそうでないのか。
腹立ち紛れのちょっとした言葉が致命傷になったりもするのかも。
もちろん、自殺まで追い込まれたのだから
「ちょっとした」ものではなかったのだろう。
中学時代の自分を思い起こしてみても
友人関係の嫌なことばかり思い出されて
今考えても死にたくなる。
やはり親に相談なんてしなかった。
話せば論理的に応えてくれる親ばかりじゃない。
親は見事なくらいに子の学校生活に無関心で
「問題なんてあるはず無い」くらいにしか思ってなかったんだからさ。
まぁそのおかげなのかどうなのか
自分は自分でしかない、
他人は他人でしかない。
自分の問題は誰にも本当に理解してはもらえない。親でさえも。
だから誰にも甘えない。
という、変に一本筋が通った実に可愛くない子どもができあがった。
だからといって私自身、それが良かったのかどうか分からない。
ただ、今生きながらえてはいるのだけど。
自分が世の中の役に立っているか
お荷物なのか
居ない方がいい人間なのか自分では分からない。
「自分なんか居なくなってもいい人間だ」
と思っている瞬間は
多分、ほんとうに居なくてもいい人間だ。
その通りだ。
その瞬間に
どこかで新しい希望に満ちた人間が生まれているんだから。
自ら存在を否定する瞬間に
コップから溢れる水滴の一部になってるんだと思う。
自分もしょっちゅう落ち込んで、
底からはい上がれない気分になることばかりだから、
そう思うことにしている。
人間は独りだよね。
一見仲間たちとわいわい楽しげにやってる人たちは
お互いに頭を押さえ合っているんだよ。
ひとりだけ抜きんでないようにね。
裏じゃもちろん悪口合戦なの。
いやだけどそういう人間だって世の中に必要なんだ。
常に浮いてるひとりぼっちの君だって
冷静に物事を判断できる貴重な人間かも知れない。
だから。
死なないで欲しいんだ。
ある米映画の台詞で
「オヤジからもらった最高のアドヴァイスは
橋から飛び降りる友人の後を追う必要はない、だった」
というのがあって
楽しく心温まる映画だっただけに、その一見突き放した台詞がとても印象深かった。
続いているように見えます。
虐め。
どこからがイジメで、どこまでがそうでないのか。
腹立ち紛れのちょっとした言葉が致命傷になったりもするのかも。
もちろん、自殺まで追い込まれたのだから
「ちょっとした」ものではなかったのだろう。
中学時代の自分を思い起こしてみても
友人関係の嫌なことばかり思い出されて
今考えても死にたくなる。
やはり親に相談なんてしなかった。
話せば論理的に応えてくれる親ばかりじゃない。
親は見事なくらいに子の学校生活に無関心で
「問題なんてあるはず無い」くらいにしか思ってなかったんだからさ。
まぁそのおかげなのかどうなのか
自分は自分でしかない、
他人は他人でしかない。
自分の問題は誰にも本当に理解してはもらえない。親でさえも。
だから誰にも甘えない。
という、変に一本筋が通った実に可愛くない子どもができあがった。
だからといって私自身、それが良かったのかどうか分からない。
ただ、今生きながらえてはいるのだけど。
自分が世の中の役に立っているか
お荷物なのか
居ない方がいい人間なのか自分では分からない。
「自分なんか居なくなってもいい人間だ」
と思っている瞬間は
多分、ほんとうに居なくてもいい人間だ。
その通りだ。
その瞬間に
どこかで新しい希望に満ちた人間が生まれているんだから。
自ら存在を否定する瞬間に
コップから溢れる水滴の一部になってるんだと思う。
自分もしょっちゅう落ち込んで、
底からはい上がれない気分になることばかりだから、
そう思うことにしている。
人間は独りだよね。
一見仲間たちとわいわい楽しげにやってる人たちは
お互いに頭を押さえ合っているんだよ。
ひとりだけ抜きんでないようにね。
裏じゃもちろん悪口合戦なの。
いやだけどそういう人間だって世の中に必要なんだ。
常に浮いてるひとりぼっちの君だって
冷静に物事を判断できる貴重な人間かも知れない。
だから。
死なないで欲しいんだ。
ある米映画の台詞で
「オヤジからもらった最高のアドヴァイスは
橋から飛び降りる友人の後を追う必要はない、だった」
というのがあって
楽しく心温まる映画だっただけに、その一見突き放した台詞がとても印象深かった。
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