ハウルの動く城

2004年12月5日 映画
見て参りました。

結論から言いますと、
好きです。
少なくとも、「千と千尋の神隠し」よりも
数倍興味深く、また単純に楽しく、面白かった。

父の遺した帽子屋でつましく働いて生計を立てているソフィーは、自分の若さにも、美貌にも自信をもてず、
にわかに戦争に沸き立つ世間からも一人取り残されたような毎日を送っている。
そんな彼女がある日偶然魔法使いのハウルに出会う。
ハウルは強大な力をもつ魔法使いであるにも拘わらず、ナルシストで気弱、やはり生きている実感のもてない浮遊感と空虚さを併せ持っている。
荒地の魔女に呪いをかけられたソフィーはハウルと弟子のマルクルたちと奇妙な共同生活を送るのだが…

私が思うに、ハウルは、まさに「男」というジェンダーを代表するようなキャラクターではないかと。
戦争という時代背景はあるものの、外に行っていったい何をしてくるのかさっぱり謎。
自分が大好きで、自分磨きに(特に外見)余念がない。
自分の秩序で「整っている」ものを乱されたくない。
つまらないことでどろどろに溶けて(笑)落ち込んだりする。
単純で、まさに男という生き物そのものなのだ。

ソフィーはそんな彼を時には母のように、祖母のように、恋人のように包み込む。
それは彼女の生来の優しさと生真面目さから来る強さのなせるワザだ。そしてこれは女性の本来もっている「母性」の象徴だろう。
そして、時には老婆になったり、老婆とは思えないほどの力を発揮したり、少女にもどったり。
微妙な描き分けと、倍賞さんの声の演技が素晴らしい。

私には息子はいないが、よそのお子さんを冷静に見ているとジェンダーの違いというものは、これは疑いようのない事実だと思う。
男の子というのは、常に限界を目指し、可能性を追求して生きている。だから危険なことも後先顧みずにやるし、人の作ったものを破壊する。しかし、その行動の裏に、悪意はない。
一方女の子というのは秩序を第一とするジェンダーだ。
男の子の無秩序さを中和し、筋道をたててやる。
ただただ「生きている」男に対し、女は「生活」することによってアイデンティティーを確立していくのだと思う。

「ハウル」では、宮崎監督の得意とする女性による「生活」の秩序立てと、仕事を持ち労働し食べることの気持ちよさが、やはり全編を通して流れている。

「ばかげた戦争」という時代背景はそれほどの意味をこの物語にもたらしているとは思えないけれど、「戦争」という名の麻薬にハイになっている人たちの「醜悪さ」はじゅうぶん伝わってきた。
そこにはただ自分のエゴを追求するだけの生き物がいて、「家族」の「愛」も存在しなかった。

ハウルとソフィーの純粋で、足もとのしっかりした愛で繋がった新しい「家族」は、血の繋がったそれよりもむしろ幸福で永遠のものに私には思えた。

★★★★★★★★★

とここまでまじめに語ってみました(笑)。
お気に入りキャラはマルクルとヒンです。
本当に可愛らしくて、ずっと見ていたかった。
カブはかかしのままが素敵。
荒れ地の魔女との階段登りは、映画史に残る名シーンですね(笑い)

まあこの映画はやはり、好きな人は好きでしょうけど、
駄目な人は駄目ですね。

ギター侍ふうに言えば、

これからソフィーはきっと大変。
だって、戦争がなかったら、ハウルはただのナルなぷー太郎ですから〜〜〜〜〜〜〜〜

残念っ!

てな感じでしょうかね(苦笑)。

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