映像と情報という名の暴力
2004年5月13日昨日の朝のニュースで、米青年がアルカイダと思われる人達に
「処刑」され、その一部始終をwebsiteで公開していたというニュースを見せられて、愕然とし、吐き気をもよおした。
頭がじんじんして、見たくもないニュース映像が目に入るたびに固まってしまった。
あの9.11事件以来、私はメディアの映像暴力にうんざりしてきた。
この、アメリカが勝手に起こした戦争では、なんの罪もない数多くの市民が毎日ただの「数値」と化している(死亡している。)
だから、戦争とはそういうものだと、見せつける必要があると言うのかも知れない。
この事件の犯人グループのやったことはもちろん極悪非道なのだが、私がうそ寒い恐ろしさを感じたのはこの映像の一部を流したメディアの無神経さだ。
この男性のご家族の心情を思うと、本当に言葉がない。
情報は事実に基づき正しく必要な人に向かって発信されるべきだ。
それが報道の基本ではないのか。
でもそれはエモーショナルなものであってはならない。
映像は、多くを語ると思われているけれど
私は必ずしもニュースに不可欠なものとは思わない。
映像は、人に事実以上のイマジネーションをかき立てる。
あるいは、事実の一片しかとらえていないのにそれがすべてと思われたりもする。
国内における、犯罪報道もそうだ。
子どもの虐待や少年犯罪など、いかにも近年激増しているかのように報道されるけれど、果たしてそうだろうか。
私は、伝えられる情報量とその速度が増しただけだと思えてならない。
時にはニュースで犯罪の手口を詳しく解説・手ほどきみたいのをしていてあきれ果てたこともある。
何でもかんでも、お知らせすればいいってもんじゃないだろう。
報道することによって犯罪が伝播することだってあり得る。
メディアに携わる方達は、「知る」ことの恐ろしさを肝に銘じて
報道して欲しい。
受け取る側の私たちは、時には望んでもいないのに見せられ、知らず知らずのうちに心が蝕まれたりもするのだから。
「処刑」され、その一部始終をwebsiteで公開していたというニュースを見せられて、愕然とし、吐き気をもよおした。
頭がじんじんして、見たくもないニュース映像が目に入るたびに固まってしまった。
あの9.11事件以来、私はメディアの映像暴力にうんざりしてきた。
この、アメリカが勝手に起こした戦争では、なんの罪もない数多くの市民が毎日ただの「数値」と化している(死亡している。)
だから、戦争とはそういうものだと、見せつける必要があると言うのかも知れない。
この事件の犯人グループのやったことはもちろん極悪非道なのだが、私がうそ寒い恐ろしさを感じたのはこの映像の一部を流したメディアの無神経さだ。
この男性のご家族の心情を思うと、本当に言葉がない。
情報は事実に基づき正しく必要な人に向かって発信されるべきだ。
それが報道の基本ではないのか。
でもそれはエモーショナルなものであってはならない。
映像は、多くを語ると思われているけれど
私は必ずしもニュースに不可欠なものとは思わない。
映像は、人に事実以上のイマジネーションをかき立てる。
あるいは、事実の一片しかとらえていないのにそれがすべてと思われたりもする。
国内における、犯罪報道もそうだ。
子どもの虐待や少年犯罪など、いかにも近年激増しているかのように報道されるけれど、果たしてそうだろうか。
私は、伝えられる情報量とその速度が増しただけだと思えてならない。
時にはニュースで犯罪の手口を詳しく解説・手ほどきみたいのをしていてあきれ果てたこともある。
何でもかんでも、お知らせすればいいってもんじゃないだろう。
報道することによって犯罪が伝播することだってあり得る。
メディアに携わる方達は、「知る」ことの恐ろしさを肝に銘じて
報道して欲しい。
受け取る側の私たちは、時には望んでもいないのに見せられ、知らず知らずのうちに心が蝕まれたりもするのだから。
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